なんで源氏と平氏は争ったの?

なんで源氏と平氏は争ったの?

教科書やテキスト通りに勉強していると,突然出てくる平将門平清盛源頼朝。一応さらりと理由は書いてはあるものの,突然出てくる登場人物に戸惑う子も少なくないはず。そんな教科書の隙間についてお話ししましょう。

源氏と平氏は同じ天皇が先祖

源氏平氏は実は同じ天皇が先祖です。覚える必要はないのですが,知っていると関連付けしやすくなるので名前を出しておこうと思います。まずきっかけとなった天皇は第50代桓武天皇(かんむてんのう)。桓武天皇といえば,平安京に遷都したり,最澄空海を起用したり,坂上田村麻呂蝦夷遠征させたりといったことで有名な天皇です。その桓武天皇には34人もの子供がいて,それぞれに要職を与えるのですが,人数が多すぎて振り分けきれない。そこで東の方を治める仕事を任せられることになったのが平家(へいけ)。これを桓武平氏といいます。

次に第56代清和天皇のときも子どもが19人いて,ここからも武士の家系が生まれました。これが清和源氏

ちなみに清和天皇にとって,桓武天皇はおじいさんのおじいさん,つまり4代前にあたります。

源氏のルーツは清和天皇だけではない?

源氏と言うと清和源氏が有名ですが,実は清和源氏だけではなく,〇〇源氏というのが実に21もあります。これらは源氏二十一流といい,どの天皇から生まれた源氏かというだけであり,天皇を祖先としていることに違いはありません。例えば嵯峨源氏(さがげんじ),村上源氏などがあります。

桓武平氏のルーツは4つ

平氏にも4つのルーツがありますが,全て桓武天皇の子を出発点としているため,基本的には全て桓武平氏と考えても問題ありません。

東の源氏,西の平家ではない?

嘘とも嘘ではないともいいがたいのですが,この考えが強すぎるがために平将門が理解できない子が多いのは事実です。どちらかというと,元々東の平定のために作られたのが平氏

その後源氏が誕生して源氏は武士家系公家家系に分かれるものの,武士家系の方は平氏と一緒に軍備に。ところがその後朝廷内でいざこざがあり,源氏と平氏が分かれて対立することに。その結果源氏が負けて,平氏が権力を持ちました。これが平治の乱。 そして平氏がどんどん勢力を拡大して西まで勢力を拡大。これが平安時代後期の出来事です。

その後実権を握りすぎた平氏を打倒するために討伐を依頼されたのが源氏の源頼朝。源頼朝は伊豆に流されていたので東の方で兵を上げるわけです。最初は負けて千葉まで船で逃げてきて,そこから勢力を拡大して鎌倉に拠点を作ります。これが東の源氏,西の平家と言われる由縁です。

何で源氏と平氏は争ったの?

もうここまで話せば大抵の子は予想がつきますが,源氏は最初平氏に負けているのです。争うことになったのは朝廷のいざこざ。後白河上皇藤原氏が対立を起こして,後白河上皇側に平氏が,藤原氏側に源氏がついて戦ったのが源氏と平氏が分かれて戦ったスタートです。このとき,ちょうど源氏側(頼朝の父である源義朝)も平氏側の厚遇に腹を立てていたんですね。そして源氏が破れ,平氏が権力を拡大。この時,頼朝の父である義朝は殺されましたが,子どもである頼朝と義経は殺さず流しただけだったんですね。だから頼朝は復讐の気持ちもあり,以仁王(もちひとおう)の平氏討伐の話に乗ったのです。そして源平合戦へ。

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